なぜ「あの人」は反対意見を受け付けないのか。ネットとSNSの時代に告ぐ
インターネットとSNSはポピュリズムを加速させるだけなのか?
■憲法学者キャス・サンスティーンが予見していた未来
アメリカの憲法学者キャス・サンスティーン(1954~)は著書『インターネットは民主主義の敵か(原題:Republic.com)』(石川幸憲訳、毎日新聞社)において、インターネットの普及が生み出すメディアと情報の環境変化と民主主義の問題について考察している。
この本の原著はまだSNSが普及していない2001年に出版されたものであり、当時と比べればネットを取り巻く環境は大きな変化を経たが、考察されている論点は今でも通用することが多い。インターネットを通したヘイトグループの形成や民主主義とポピュリズムの問題など、むしろ現在の状況を予見しているような考察ともなっている。
民主主義には、人々の間に共有される共通体験と、多様な考え方との思いがけない出会いが必要である。だが、インターネットを通して情報に接する現代では、そういった民主主義の前提に変化が生じるとサンスティーンは主張する。
ショッピングサイトで何かを購入すると類似商品をオススメされたり、音楽や動画の配信サイトで何かを聞いたり見たりすると、同じような好みを持つ他の人が視聴したものをオススメされたりすることがある。インターネットは基本的に無料で利用出来るが故に、利用者は広告主のターゲットとされ、個人ごとにカスタマイズされた情報を提供されるようになるのだ。
他にも、たとえばニュースサイトで野球の記事をクリックすると野球についての他の記事へのリンクがたくさん表示されるし、そのリンクを辿っていくつかの記事を見ていると、いつの間にか表示されるリンクが野球についての情報だらけになっていた、という経験がある人もいるだろう。
政治についても同じで、保守的な傾向を持つ人が保守的な意見を主張するサイトや記事を読んでいると、表示されるリンクが保守的な主張をするページばかりになっていき、反対にリベラルな傾向を持つ人がリベラルな主張のページを辿っていくと、リベラルな主張をすページばかりが表示されるというようになっていく。
つまり、保守的な傾向の人は保守的な情報だけに接するようになり、リベラルな傾向の人はリベラルな情報だけに接するようになる。すると、自分と似たような価値が主張されている言論だけに接し、自分の意見の正しさへの確信を強めると共に、反対意見の誤りをも確信するようになっていくだろう。そしていつしか思考は硬直化し、反対意見を聞き入れることなくハナから否定して、自分とは異なる意見を持つ者を受け入れられなくなるようになっていく。
現代では、インターネットを通じて多種多様な情報に容易にアクセスすることができるようになった一方で、提供される情報にいつの間にかフィルタリングがかけられ、カスタマイズされることで、かえって多様性に開かれた柔軟な態度が失われる場合も多いのだ。
そもそも人はインターネットが普及するよりも前から、取り入れる情報に対して自分自身でフィルタリングをかけてきた。従来も、たとえば巨人ファンならスポーツ報知を読み阪神ファンならデイリースポーツを読んできたように、ひいきのプロ野球チームの情報を詳しく掲載しているメディアを積極的に選ぶことが多かっただろう。
それは政治における党派性でも同じで、右寄りのメディアと左寄りのメディアがそれぞれの人の支持する立場によって読み分けられてきた。保守的な党派を支持する人が左寄りのメディアに、革新的な党派を支持する人が保守的なメディアに積極的に接するということはあまり無かっただろう。人々は、自らが支持する考え方への信念を、似た傾向の主張をするメディアを通して固めっていったのである。